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東京高等裁判所 昭和56年(行ケ)236号 判決 1984年4月27日

原告 大日本除虫菊株式会社

被告 特許庁長官

主文

特許庁が昭和五六年七月二二日に同庁昭和五三年審判第一三七一七号事件についてした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告は、主文同旨の判決を求めた。

二  被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二原告主張の請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和四八年一一月三〇日、名称を「ゴキブリ捕獲函」とする考案につき、願書に添付した明細書の実用新案登録請求の範囲の記載を別紙(一)のとおりとし、別紙図面を付して、実用新案登録出願(実願昭四八―一三八五九三号。以下この出願にかかる考案を「本願考案」という。)をし、昭和五一年一〇月八日付けの実用新案出願公告決定の送達を受け、昭和五二年三月一〇日、実用新案出願公告(実公昭五二―一一〇九七)を得たが、実用新案登録異議の申立があり、昭和五三年六月一五日付けの拒絶査定を受けたので、昭和五三年九月六日、これに対する審判を請求した。これに対し、特許庁は、これを同庁同年審判第一三七一七号事件として審理し、原告に対し、昭和五六年四月二〇日付け拒絶理由通知書を送達したので、原告は、同年六月二四日付けで、明細書の実用新案登録請求の範囲の記載を別紙(二)のとおりに補正するほか考案の詳細な説明中の記載を削除・挿入する内容の手続補正書を提出した。ところが、特許庁は、同年七月二二日、「昭和五六年六月二四日付けの手続補正を却下する。」との補正却下決定(以下「補正却下決定」という。)とともに「本件審判の請求は成り立たない。」との審決(以下「審決」という。)をし、右補正却下決定及び審決の各謄本は、いずれも、同年八月一九日、原告に送達された。

二  補正却下決定の理由の要点

当審において、本願の明細書における考案の詳細な説明中に不明瞭な記載がある旨を、昭和五六年四月二〇日付けの拒絶理由通知書により通知したところ、請求人(原告)は、昭和五六年六月二四日付けの手続補正書によつて、右考案の詳細な説明中の不明瞭な記載を補正するとともに、実用新案登録請求の範囲を補正することを内容とする手続補正をした。そして、この手続補正は、本願の出願公告後の補正にかかるものである。

してみると、右手続補正は、拒絶理由に示す事項以外の事項についても、願書に添付した明細書について補正するものである。

したがつて、昭和五六年六月二四日付けの手続補正は、実用新案法第四一条の規定により準用する特許法第一五九条第二項の規定によりさらに準用する同法第六四条第一項本文の規定に違反するものであり、実用新案法第四一条の規定により準用する特許法第一五九条第一項の規定によりさらに準用する同法第五四条第一項の規定により、却下すべきものである。

三  審決の理由及び拒絶理由通知の要点

1  審決の理由の要点

本願考案についての実用新案登録出願は、昭和四八年一一月三〇日にされたもので、「ゴキブリ捕獲函」に関するものと認める。

これに対して、当審において昭和五六年四月二〇日付けで、本願考案は、その明細書の記載が不備で実用新案法第五条第三項に規定する要件を満たしていないから実用新案登録を受けることができない旨の拒絶理由を通知したが、請求人のした昭和五六年六月二四日付けの手続補正は、審決と同日付けで補正却下されることとなつたので、依然として右拒絶理由で指摘した不備の点を解消していない。

したがつて、本願考案についての実用新案登録出願は、右拒絶理由によつて拒絶すべきものである。

2  拒絶理由通知の要点

本願考案の実用新案登録出願は、明細書の記載が、左記の点で不備のため、実用新案法第五条第三項に規定する要件を満たしていないものと認める。

「頂角の角度を三〇度ないし六〇度としているが、該頂角を採用した根拠が不明であり、角度を限定したことによる作用効果が不明瞭である。」

四  審決を取り消すべき事由

審決は、後記のとおり、特許法第六四条第一項本文の規定(実用新案法第四一条及び特許法第一五九条第二項の各規定により順次準用されたもの。以下同じ。)の解釈を誤り、補正却下決定を正当としたため、本願考案の要旨認定を誤り、また、誤つて本願考案の明細書の考案の詳細な説明の記載を不備であるとしたものであるから、違法として取り消されるべきものである。

1  「拒絶の理由に示す事項」に関して

特許法第六四条第一項本文にいう「拒絶の理由に示す事項」とは、本件におけるように、「明細書の記載が左記の点で不備」である旨指摘されたときについては、右「左記の点」のみに限定されるものではなく、「左記の点」を補正することによつて影響を受ける明細書における他の部分の記載をも含むものであることは、法理上明らかである。

ところで、本願考案の明細書中に開示されている考案は、これを具体化する上で、種々のバリエーシヨン(変形)が行われうるものであるところ、原告が昭和五六年六月二四日付け手続補正書によつてした手続補正(以下「本件補正」という。)において、原告が特許庁に示した試験例は、右バリエーシヨンのうち最も良い結果をもたらす条件を具備したゴキブリ捕獲函を使用した結果なのである。

したがつて、本願考案において、試験例を新たに追加することによつて補正された本願考案の明細書における「考案の詳細な説明」と、同明細書の「実用新案登録請求の範囲」との両欄における記載を首尾一貫したものとし、技術の真の公開をし、技術的範囲を明確にするためには、実用新案登録請求の範囲に、右試験例に使用したゴキブリ捕獲函の具体的条件すなわちプラスチツクを基材とすること及び組立式となつていること等の記載を追加挿入して、これを減縮する補正をどうしてもしなければならないのである。

また、本件補正をする前の明細書の「考案の詳細な説明」の欄には、「三角錐体及び四角錐体等の中空錐体」のゴキブリ捕獲函の記載があつたので、「実用新案登録請求の範囲」の記載も、すべてこれらの型式のものを包含するかのようないわゆる最大公約数的な表現でなされていたのであるが、本件補正においてこれらの型式についての記載を削除した。

右のように、本件補正においては、「左記の点」を明瞭にするために頂角の角度を三〇度ないし六〇度に限定したことによる作用効果の優秀性を証明するための試験例を追加すると同時に、この試験例と相応しない「考案の詳細な説明」の欄における他の部分の記載を削除するとともに、「実用新案登録請求の範囲」の欄の記載をも補正したのであつて、これら一連の補正は、特許法第六四条第一項にいう「拒絶理由に示す事項」についての補正に該当するものである。

2  補正事項の選択的採用について

仮に本件補正が「拒絶理由に示す事項」以外の事項についての補正をも含むものであるとしても、本件補正全部を却下した補正却下決定は違法である。

特許法第六四条第一項において認められる補正は、補正すれば特許されうるものであれば極力補正させることにより出願人を救済しようとする趣旨の制度であるから、単なる形式論によりこれを処理することは、法の趣旨を没却するものである。

そして、「拒絶理由の通知」の法的性格は、審判官に義務づけられた釈明権の行使にあたる行為であるから、仮に求釈明事項についての出願人の釈明において右求釈明事項以外の事項についてのいわゆる余事記載がなされていたとしても、審判官は、出願人の求釈明事項についてした釈明のみを採用して審理をすべきであつて、余事記載があるという形式論理によつてたやすく補正手続全部を却下すべきものではない。釈明事項に余事記載があるとしても、そのことによりその手続全体を却下しなければならない程の違法があるとすることはできないのである。

また、争訟手続において請求の一部棄却はつねにみられるものであるところ、補正の内容において適法・不適法の部分が一体的で分離しえない場合は格別、本願におけるように、補正事項の内容が判然と二つの事項に区分されている場合、若し仮にその一方の補正が不適法なものであるとするならば、その一方の補正を却下し他方の補正のみを容認することは、手続補正の趣旨を生かすものであるということができるのに対し、両者を一体として却下することについては、法律上の根拠は全くないのである。

3  明細書の記載の不備について

仮に補正却下決定が正当であるとしても、本願考案の明細書には審決の指摘するような記載の不備はないから、審決の判断は誤りである。

(一) 切穴の頂角を三〇度ないし六〇度とすることに関し、本願考案の明細書(甲第三号証)には、「その切穴が底板の底縁部に極めて近接し、しかも、内角三〇度ないし六〇度の頂角を有するものであるため、ゴキブリの大、小を問わず捕獲することができ、………優れた実用的効果を発揮することができる。」(甲第三号証第三欄第八ないし第一三行)、及び、「叙上の角度としたのは小さなゴキブリが這入りやすくするためである。」(同号証同欄第二三ないし第二六行)と記載され、頂角限定の根拠が結局はゴキブリ捕獲効果にあることが示されている。

つぎに、右角度の頂角が効果的である理由及びその効果を見出した方法について、本願考案の明細書には、次の各事項が記載されていることが理解される。

(1) 従来のゴキブリ捕獲器でゴキブリ進入口に一定高さの壁板を設けたものが小さいゴキブリに対して効果的でないのは、「小さなゴキブリは壁板面の裏面に廻つて粘着剤を感知し、壁板を越えて逃げ出すためである」ということを知見した(同号証第一欄第二八行ないし第二欄第四行)。

(2) 考案完成に先立ち、ゴキブリの習性をつぶさに研究した結果、「ゴキブリは壁面をはい上り、隙間等があるとその裏面にひそむ傾向があること、進行に当つては触角により危険物を感知すること、そして危険物があると、後退することなく進行方向を転回して逃げること」を見出した(同号証第二欄第五ないし第一五行)。

(3) 以上のゴキブリの習性に留意し、本願発明の明細書第一図に示すようなゴキブリ捕獲函を構成した(同号証第二欄第一六ないし第二五行)。

(4) 前記のゴキブリ捕獲函を用いてゴキブリの挙動を観察すると、「ゴキブリは触角または前肢が粘着剤に接着された場合、急拠進行方向を転回して逃げ出そうとするが、二等辺三角形の両縁(切穴の両縁)に邪魔されて回転できなくなり、結局捕獲されること」がわかつた(同号証第二欄第二六行ないし第三欄第四行)。

右(2)及び(4)の記載から、切穴の頂角を特定範囲に限定した第一の理由はゴキブリの転回を阻止するためであることは明らかである。そして、<1> 右頂角は小さいほどゴキブリの転回阻止に好都合であるが、一方、<2> 小さすぎると大きいゴキブリは切穴の上方まではい昇らなければ切穴に入れなくなるので捕獲函の高さを高くする必要が生じること、そして、ゴキブリは切穴の上方まで昇ると切穴から裏面に廻つて粘着剤を感知する可能性が大きくなることは、たとえ明細書に明記されていなくても、右(1)に記載されたゴキブリの挙動についての記載と常識とから、当業者に自明ということができる。

要するに、右(1)ないし(4)から、右頂角の上限(最大角度)は、大きいゴキブリは勿論、小さいゴキブリに対しても転回を阻止することができ、小さいゴキブリをも捕獲しうる、最大許容角度であり、そして、下限(最小角度)は、大きいゴキブリの捕獲に起因するものであることを当業者は容易に理解することができるものであり、本願考案において、切穴の上限及び下限の限定理由すなわち根拠は、右明細書の記載から当業者には容易に理解しうるものである。

さらに、切穴の頂角における三〇度及び六〇度の具体的数値への限定根拠についていうと、それは、結局はその数値範囲でのゴキブリ捕獲効果である。

すなわち、本願考案者は、切穴頂角が一定範囲にある場合、大、小の両ゴキブリに対して捕獲効果が良いであろうことを予測し、その角度を変えて実験をした結果、三〇度ないし六〇度の場合が最も効果的であることを見出して、その角度を三〇度ないし六〇度と限定したのである。

本願考案の明細書には、具体的実験データは記載されていない。しかし、本願考案の出願人は、右実験の結果を「内角三〇度ないし六〇度の頂角を有するものであるためゴキブリの大、小を問わず捕獲することができ、……優れた実用的効果を発揮することができる」(甲第三号証第三欄第九ないし第一三行)と記載したのであり、かかる記述は、実験を経てのみなしうるものである。

一方、当業界においてゴキブリ捕獲器の考案はゴキブリを使用した実験によつてのみその効果が確認され、また、その効果についての実験データに基づいて詳細な構成要件、たとえば切穴の形状や内角等を決定しているのが実情であるから、本願考案における切穴頂角の数値決定及び効果に関する前記記載は、仮に明細書に具体的データがなくても、実験データに基づいて効果を総合的に記載したものであることは当業者に明らかである。

したがつて、本願考案の明細書の「三〇度ないし六〇度の頂角を有するものは……優れた実用的効果を発揮する」の記載は、当業者には本願考案の効果を確認するのに十分明瞭な記載であり、また、その数値を採択した根拠もその効果から明瞭である。

(二) 本願考案における前記頂角限定の根拠及びそれに伴う効果についての記載は、実験データに基づいてなされたものであり、そのことは、本願と同一の出願人及び考案者によつてなされた先願考案に関する実公昭五一―四二八五三号公報の試験一に、切穴の底板に近接する頂角を二〇度から八〇度に変化させた場合の実験が記載され、そして第一表にはその結果が要約されていることからも明らかである。右結果から頂角が三〇度ないし六〇度の場合がゴキブリ捕獲に最も効果的であることがわかる。この実験は、本願考案の出願前に本願考案の考案者が行ったものであるから、本願考案の明細書中の「優れた実用的効果を発揮する」の記載は、少なくともこの実験に基づいたものであることは明白である。

(三) 本願考案において、頂角を三〇度ないし六〇度とした切穴を底板縁部に対して極めて近接して設置した目的は、切穴に進入しようとするゴキブリが側壁の裏側に進入することなく、一歩切穴に脚を入れれば直ちに底板の粘着材に接着するようにするためである。ところが、ゴキブリの種類は大小さまざまであるが、その種類による大小の体巾は一般によく知られているのである。そこで、大小のゴキブリが切穴に進入する際まず前肢を切穴中に入れて一歩前進しなければゴキブリの体が乗り越えることのできない程度の大小のゴキブリの体巾に対応する障壁を進入口に設けなければならない。この障壁がすなわち三〇度ないし六〇度に形成された頂角なのである。頂角の三〇度ないし六〇度の選択は、勿論実験の結果得られたものであるが、この角度を選択した理由は、当業者は勿論昆虫に興味を持つ者であれば、すぐ理解できる程度のもので、根拠を示さなければ当業者に理解できないというものではないのである。また、ゴキブリ誘引剤でゴキブリ捕獲に成功している先行技術が本願考案の出願前にすでに周知なのであるから、あえて数値的データによつてその作用効果を証明しなくても、世人はよくその作用効果を理解しうるのである。

このように一般世人により容易に理解できる程度の技術事項に関する作用効果については、特段の記載がなくても明細書における開示不十分にあたるとすることはできないのである。

第三請求の原因に対する被告の認否及び主張

一  原告主張の請求の原因一ないし三の各事実は認める。

二  審決を取り消されるべきものとする同四の主張は争う。原告主張の審決取消事由は、後記のとおり、いずれも理由がなく、審決には、これを取り消すべき違法の点はない。

1  「拒絶の理由に示す事項」に関する主張に対して

(一) 本件における拒絶理由に示す事項は、本願考案はその要旨として頂角の角度を三〇度ないし六〇度としているが、右角度を採用した根拠が不明であり、角度を限定したことによる作用効果が不明瞭であるから、本願考案の明細書は、実用新案法第五条第三項に規定する要件を満たしていないというものである。

そして、本願の場合に出願公告決定の謄本の送達後における明細書の実用新案登録請求の範囲の補正は、実用新案登録請求の範囲の減縮を目的とするものに限られるから、本件において前記拒絶理由を解消するために明細書の補正をすることができるのは、結局、明細書の考案の詳細な説明を補正して実用新案登録請求の範囲に明記している頂角の角度を三〇度ないし六〇度とした根拠を明確にすることに限られるものである。

(二) しかるに、本件補正の第一項(実用新案登録請求の範囲の補正)は、この拒絶理由に示す事項と全く関係のないものである。

そして、本件補正の補正書である甲第四号証をみても、その試験例が補正にかかる実用新案登録請求の範囲にみられるように函の基材をプラスチツクにしたあるいは函を組立式にした捕獲函によるものであるとかいう限定は何もない。

したがつて同号証における右試験例を加える補正(補正事項(3))は、出願公告された明細書の実用新案登録請求の範囲に記載されたゴキブリ捕獲函において、その切穴の頂角の角度を三〇度ないし六〇度とした意義を明確にしたものと解するのが妥当であり、また、このように解することが、原告の部分却下をすべきであるという主張とも合致するものである。

してみると、本願において、前記試験例を追加した結果その試験例と出願公告された実用新案登録請求の範囲の記載とがくいちがうことは全くないのであるから、右「試験例」の追加をする補正と同時にした「実用新案登録請求の範囲」の補正は、拒絶の理由に示す事項とは全く無関係なものであつて、特許法第六四条の禁じている恣意的補正に該当するものである。

また、補正前の実用新案登録請求の範囲には、「ほぼ矩形の……中空の三角柱体において」ということが考案の構成に欠くことができない事項の一部として明記されており、中空錐体と中空三角柱体とは形状が全く異なるものであるばかりでなく、そもそも錐体は底板の両側縁において直角をなして立ち上る両側面を有しないから、前記中空錐体が補正前の実用新案登録請求の範囲に包含されないことは明らかである。

そして、本件補正における「試験例」は、当然に補正前の実用新案登録請求の範囲に記載された本願考案の要旨とする構成を有するゴキブリ捕獲函の試験例と認められるので、この試験例と補正前の実用新案登録請求の範囲の記載とは、なんらくいちがいがあるとは認められない。

したがつて、前記「試験例」の補正に伴つて実用新案登録請求の範囲を補正する必要は全くないものである。

2  補正事項の選択的採用の主張に対して

実用新案登録を受けることができる考案は、一個のまとまつた技術思想であつて、出願人(請求人)がする手続補正は、実用新案登録出願の願書に添付した明細書又は図面の記載を、手続補正書記載の手続補正のとおりに補正することを求めるものであるから、これを一体不可分の手続補正を行うものと解すべきものであり、複数の補正個所の全部につき一体として手続補正を許すか許さないかの決定をしなければならないものである。

また、可分の請求について、その一部を棄却しうる争訴手続と異なり、本願においては、右のとおり一体不可分の手続補正であるから、複数の補正個所の中に補正が認められないものが存在する以上、その手続補正全部につき、一体として補正の却下の決定をしたことになんら違法な点はない。

3  明細書の記載の不備に関する主張に対して

(一) 原告は、本願考案の明細書の複数個所の記載を指定して(明細書に原告指摘の趣旨の記載があることは、争わない。)、これらの記載によつて、当業者には、本願考案の効果を確認するのに十分明瞭であり、また、その数値すなわち頂角の角度に三〇度ないし六〇度を採択した根拠も、上限は大きいゴキブリは勿論小さいゴキブリに対しても転回を阻止うること、そして下限は大きいゴキブリの捕獲に起因するものであり、大小の両ゴキブリに対して捕獲効果が良いという効果から明瞭である旨主張する。

しかし、右数値を採択した臨界的意義を客観的に裏付けるものが明細書に何も記載されていない以上、右数値を採択したことによる作用効果は、その明細書の記載からみて、単に、主観的にかつ定性的に記載しているにすぎず、右数値を採択した客観的根拠は不明であり、ひいては、角度を限定したことによる作用効果が不明瞭となるものである。

(二) 原告は、本願考案とは別異の考案である実願昭四八―一一一〇一一号公告公報をあげて、本願考案における前記頂角の限定は実験データに基づいてなされたものであり、本願考案の明細書中の「優れた実用的効果を発揮する」の記載は、この実験に基づくことは明白であると主張する。

しかし、本願考案と別異の考案である先願考案の明細書にその考案の作用効果を示す実験データが記載されていたとしても、それと別異の考案である本願考案の明細書に右数値を採択した臨界的意義を客観的に裏付けるものが何も記載されていない以上、本願考案の明細書記載の作用効果が明瞭であるとみることはできない。

また、本願考案の出願前に、仮に前記先願の公告公報記載のとおりの実験が行われたとしても、右公報に記載された実験データは、ゴキブリ進入口が設けられる壁面が垂直なゴキブリ捕獲器についてのものであり、一方、本願考案は、その実用新案登録請求の範囲の記載からみて、右ゴキブリ進入口に相当する切穴を傾斜面に設けることを要旨の一部とするゴキブリ捕獲函であるので、進入口(切穴)の同一幅部分においてゴキブリがそれぞれ進入する場合、その位置の粘着剤塗布底面からの高さが、前記公報に記載されたゴキブリ捕獲器においては高く、本願考案のゴキブリ捕獲函においては低くなることは、原告が本願考案の明細書に記載しているように、その進行にあたつては用心深く、その触角で前方を探り、危険物を感知する習性を持つゴキブリの粘着捕獲においては無視できない大きな差異であり、右公報に記載された実験及び実験データは、本願考案とは全く無関係のものである。

(三) 原告は、頂角の選択は、当業者は勿論のこと一般世人でも、すぐ理解できる程度のものであると主張する。

しかしながら、たとえ同一種類のゴキブリであつても、幼虫と成虫とではその身体の幅、前足の長さ等が著しく異なるものであるから、原告の右主張はあたらない。

さらに、ゴキブリ誘引剤でゴキブリ捕獲に成功している先行技術がすでに周知であるとしても、本願考案は、ゴキブリ誘引剤の使用を考案の構成に欠くことのできない事項とはしていないのであるから、右先行技術は本願考案とは全く関係のないことである。

第四証拠関係<省略>

理由

一  原告主張の請求の原因一ないし三の各事実(特許庁における手続の経緯、補正却下決定の理由の要点並びに審決及び拒絶理由通知の各要点)については、当事者間に争いがない。

二  そこで、審決取消事由の存否について検討する。

1  「拒絶の理由に示す事項」に関する主張について

(一)  特許法第六四条第一項の規定における「拒絶の理由に示す事項」については、本件におけるように、拒絶の理由が実用新案法第五条第三項の要件を欠くとするものすなわち考案の詳細な説明における記載不備である場合には、必ずしも常に拒絶理由通知により指摘された点に直接関係する記載部分に限られるものではないと解すべきである。それは、拒絶理由通知が本件におけるように「左記の点」に記載不備があると指摘するにすぎない場合であつても、その指摘された点に対応して明細書の記載を補正したときに、その補正が明細書の指摘された点以外の他の記載部分に対し、その内容と矛盾し又はこれを不明瞭ならしめる等の影響を及ぼし、この他の部分の記載をも補正しなければ、明らかに明細書の記載が一貫しなくなる場合があることが考えられるからである。このような場合には、明細書を完全なものとすることをも目的とする補正制度の趣旨に照らしても、「拒絶の理由に示す事項」は、右の「他の部分の記載」すなわち指摘された点の補正に付随して補正を必要とする前記のような記載事項(以下「付随事項」という。)をも含むものと解すべきものである。

(二)  そこで、本件補正事項が、「拒絶の理由に示す事項」についてのもの、すなわち、「指摘された点とその付随事項」に該当しているかどうかをみるに、成立について争いのない甲第四号証によれば、本件補正は、本願考案の明細書の実用新案登録請求の範囲の記載を別紙(一)記載のものから同(二)記載のとおりに補正するとともに、考案の詳細な説明の「また、本考案は、三角錐体……も可能である。」との記載(第六頁第一二、一三行)を削除し、同じく考案の詳細な説明に切穴の角度とゴキブリ捕獲数との関係の表を付した「試験例」を挿入したものであることが認められるところ、右「試験例」に関する補正事項は、前記「左記の点」そのものに関するものであるから「拒絶の理由に示す事項」に該当することは明らかであるが、「考案の詳細な説明」の欄における他の部分の記載を削除する補正事項は、成立について争いのない甲第三号証(本願考案の実用新案公報)の記載と対比すれば、「試験例」の補正に関連したものではなく、もともと不明瞭であつたものの補正であると認められるから、「指摘された点とその付随事項」に該当するものとはいえないし、右「実用新案登録請求の範囲」の欄の補正事項も、右甲第三号証の記載に照らすと、被告主張(第三の二の1の(2))のとおり、「試験例」と直接関連したものとして補正されたものではないとみるのが相当であるから、「指摘する点とその付随事項」に該当するものとはいえない。

したがつて、本件補正事項は、「指摘する点とその付随事項」以外の事項を含むもの、すなわち、「拒絶の理由に示す事項」についてのもの以外の事項を含むものといわざるをえない。

2  「補正事項の選択的採用」の主張について

原告は、本件補正が「拒絶の理由に示す事項」についてのもの以外の事項を含むとしても、その記載事項は余事記載であるから、その余事事項のみを却下すべきもので、余事事項を含む補正全体を却下すべきではない旨主張するが、明細書又は図面の補正とは、ある一個の明細書又は図面を補正して他の一個の明細書又は図面とする補正であつて、補正事項の内容としては互に分離できるものがあつたとしても、補正された結果のものは、一つの明細書又は図面として一体不可分のものとなるものであり、余事事項を含む手続補正によつて明細書又は図面が補正されると、余事事項を含めた一体不可分の一つの明細書又は図面となるとみるのが相当であるから、余事事項の補正部分のみを却下するというように、余事事項を可分なものとして処理することは許されないところといわなければならない。

そして、特許法第六四条第一項の規定は、「拒絶の理由に示す事項」に余事事項を含めず、余事事項を含めることを禁止しているものであるから、余事事項を含む手続補正は、余事事項を含むことを理由に全体として却下されるべきものであり、右に反する原告の主張は採用できない。

3  「明細書の記載の不備」に関する主張について

前記争いのない事実によれば、本願考案の本件補正前の明細書の実用新案登録請求の範囲には、「底板縁に近接する頂角が三〇度ないし六〇度の切穴を右頂角を右底板縁に向けて複数個設け」として、切穴についての限定がなされているところ、右切穴の限定は、これを、

(1)  切穴を複数個設ける(切穴の個数限定)。

(2)  切穴は頂角を有している(切穴の形状限定)。

(3)  その頂角は底板縁に向けている(切穴頂角の向く方向限定)。

(4)  その頂角は底板縁に近接している(切穴頂角の存在する場所限定)。

(5)  その頂角は三〇度ないし六〇度である(切穴頂角の角度限定)。

の五つに分けて考えることができるが、「切穴頂角の角度限定」は「切穴の形状限定」と一応関連があるとすることはできても、そのほかの限定とは直接関連があるとみることはできない。

ところで、拒絶の理由が指摘する前記「左記の点」からみて、拒絶の理由が指摘する記載不備は「切穴頂角の角度限定」に係るものであって、その余の切穴の限定に係るものではなく、前記その余の切穴の限定は、前記甲第三号証の記載特に原告がその主張に引用する記載(請求の原因四の3の(一)の(1)ないし(4))によれば、その限定による作用効果を十分に認めることができる。

そして、「切穴の角度限定」について同号証をみると、被告が指摘するように数値限定を臨界的なものとして積極的に説明する記載はないが、原告が主張するとおり、「その切穴が底板の底縁部に極めて近接し、しかも、内角三〇度ないし六〇度の頂角を有するものであるため、ゴキブリの大、小を問わず捕獲することができ、……優れた実用的効果を発揮することができる。」(第三欄第八ないし第一三行)、及び、「叙上の角度としたのは小さなゴキブリが這入りやすくするためである。」(同号証同欄第二三ないし第二六行)として、総括的であるが、一応の説明をしていることが認められる。

そして、前記その余の限定に相当するものが本願考案の実用新案登録出願前に普通に知られていたことについてなんらの資料もない本件においては、本願考案は、右その余の切穴の限定による構成だけでも十分考案を構成するとみることができ、その観点からすれば、「切穴の角度限定」は、その限定がなければ本願考案が成り立たないというものではなく単に本願考案を実施するためにあたつてのより適当な角度の範囲を示すにすぎないもので、考案においてさほど重要な意味を持たない限定ともいえるものであるところ、そのように格別に重要な意味のない限定に対し、前記のように、総括的ではあつても一応の説明があれば、これを実用新案法第五条第三項に規定する記載がないとすることは相当でない。

したがつて、この点に関する審決の判断は誤りとしなければならず、原告の主張は理由があるものというべきである。

4  しかして、右の判断の誤りが審決の結論に影響を及ぼすべきものであることは明らかであるから、審決は、違法としてこれを取り消さなければならない。

三  よつて、審決の取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石澤健 楠賢二 岩垂正起)

別紙

(一) (願書に添付した明細書の実用新案登録請求の範囲の記載)

ほぼ矩形の底板上に、その左右両端縁において、底板に対し一定の傾斜をなして立ち上がる傾斜面と、上記底板の両側縁において直角をなして立ち上るほぼ二等辺三角形の両側面とにより形成されている中空の三角柱体において、上記両傾斜面および、または上記両側面に、底板縁に近接する頂角が三〇度ないし六〇度の切穴を上記頂角を上記底板縁に向けて複数個設け、上記底板表面に粘着剤を塗布してなるゴキブリ捕獲函

(二) (本件補正にかかる実用新案登録請求の範囲の記載)

一枚の厚紙、プラスチツクシート等の基材を用いて、中央にほぼ矩形の底板を設け該底板の左右両端縁に底板に対して一定の傾斜をなして立ち上る傾斜面と、該底面の両側縁に直角をなして立ち上るほぼ二等辺三角形の両側面とを連設し、かつ前記左右の傾斜面および両側面の先端に必要に応じて挿入片または折込み片を連設せしめ、そして上記両傾斜面および/または上記両側面にゴキブリ進入口として底板縁に近接する頂角が三〇度ないし六〇度の切穴を上記頂角を上記底板縁に向けて複数個設けた形状に形成し、上記底板表面に粘着剤を塗布してなる組立式ゴキブリ捕獲函

願書に添付した図面

第1図

第2図

第3図

第4図

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